『母の故郷・佐渡』

旅の思い出:佐渡ヶ島

令和3年・夏、東京にて。
現在、非常事態宣言などで、帰省を控えるように云われる中、今年も神奈川に在る実家への里帰りは諦める事に。

そこで電話だけでもと掛けてみるが、母との会話の中で思い出されるのが「一緒に行った旅は良かったね。」と思い出を振り返る時がありました。

その旅とは、翌年に元号が変わる春先のこと。
母から電話で「佐渡の兄が急に倒れて危篤らしい。」と。

母は兄との2人兄妹で、兄は家を継ぎ、妹である母は結婚して神奈川暮らし。電話の声も心配そうでたまらないようです。

そこで、私は妻と一緒に、母と佐渡へ行くことに。
明日の新幹線や佐渡汽船のチケット、そしてホテルの予約に急ぎます。やっとの思いで全て整い、翌日に、母とは東京駅集合に。

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しかし、ここで事件が発生。
ホームで待ち合わせをしていたのに、母が現れません。

電話をしても通じない。電話をかけ続け、やっと通じたら新宿に着いたというのです。どうやら、駅に早く着いたので、別の電車に乗ってしまったらしい。土産を買うために1時間早く待ち合わせをした為、新幹線に乗り遅れる事態は避けられましたが、早朝からヒヤヒヤものでした。

そういえば、母は結構、気楽に考え、多少おっちょこちょいの感も否めません。東京駅から上越新幹線で新潟駅へ進み。新潟港からフェリーで佐渡・両津港へ。

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港では親戚が車で迎えに来てくれていました。

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港から直行で相川町にある病院へ。
病院へ着くと、緊張のまま、病室へ。
すると、ちょっとした違和感が。

母の兄の姿をみると、鼻から酸素チューブがつながれているだけで、とても緊急性が感じられません。もしや母の早合点?

それでも、母は兄と会話が出来て、嬉しそうです。

その日の夜は病院近くの、予約していたホテルに宿泊しました。予約時に状況がつかめないので、1泊朝食付きで、安価な部屋を予約していましたが、ホテルの方が事情を察し、追加料金など無しで、海の見える良い部屋に通して頂きました。

<Photo情報>
ホテルの部屋から観た風景(窓辺の景色と部屋内)と夕景

<相川温泉・温泉情報>
相川温泉は相川地区にある温泉地で、佐渡島の西側に位置します。雄大な日本海が広がり見事な夕日を望む事ができます。
 ●泉質:ナトリウム、硫酸塩塩化物温泉
 ●主な効能:神経痛、筋肉痛、疲労回復

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少し部屋でくつろぎ、夕食はホテル近くの居酒屋風の中華屋さんでとり、部屋に戻ってから温泉などを利用し休みをとりました。

翌日は、状況も掴めたので、朝、出かける時にフロントで、夕食を頼めないか確認したところ、快く受けて頂き(オプションで蟹も付けられました)、とても感謝の気持ちでいっぱいでした。

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この日も病院へ行きますが、母は私達に「折角きたので、少し観光をしてきたら。」と言ってきました。しかし交通手段も無いことから、病院前の道を一本隔てた場所にある『佐渡奉行所跡』を訪ねて観ました。

入ると係の人がどこから来たのか訪ねられ、事情を話すと、係の方が、付き添ってくれて各々説明を聞きながら見物する事が出来ました。

<Photo情報>
佐渡奉行所跡の全景及び屋内撮影

<佐渡奉行所跡の説明>
佐渡奉行所は1603年(江戸時代初め)に建てられました。 火事での焼失や再建を5回繰り返しながら明治維新後は、役所や学校として利用され1929年に国の史跡に指定されました。その後、1942年にまたもや火事で全焼。1994年に再度国の史跡に指定されると、保存整備を進める方向で、2000年に御役所部分が復元されました。

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その後、隣にある、『佐渡版画村美術館』を訪れてみました。

<Photo情報>
佐渡版画美術館全景(内部は撮影NG)

<佐渡版画美術館の説明>
佐渡版画美術館とは、故・高橋信一氏(版画家/高校教師)が指導したアマチュア版画家の作品や高橋氏の遺作が約300点展示されています。木版画・銅版画・シルクスクリーンなど多彩な版画を観ることが出来ます。

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その後、京町通りを通りつつ、病院に戻り母と合流し、その日はホテルへ戻りました。

<Photo情報>
京町通り

<京町通りの説明>
京町通りとは、佐渡奉行所と佐渡金山を結ぶメインストリートで、「時鐘楼」がシンボルです。細い路地道に関係者の住居や店があったようです。

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ホテルに戻り、くつろいでいると、しばらくしてホテルスタッフの方から食事の用意が出来たことを伝えられ、別の部屋に通されると、朝、お願いしたにもかかわらず、素晴らしい食事が用意され、母は感動していました。母の好物の蟹もあり、喜んでいる笑顔が今でも忘れられません。

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急なお願いで用意して頂いたにも関わらず、立派な食事を頂き、母も満足そうで、私も感謝と共にとても嬉しかったです。

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翌日、朝食を頂き、ホテルをチェックアウトし、その後、兄の入院している病室へ行き、兄と挨拶を交わし、細くなった兄の腕と握手を交わしました。その後、東京・神奈川にそれぞれ戻る事になります。

その後、聞くところによると、帰った直後に、意識を失い、数日後に永眠なされたそうです。

早合点も有り、緊急で出かけた旅でしたが、母とその兄が奇跡的に話を交わすことが出来、私も妻も感動しています。その後は穏やかに、微笑みを浮かべるように亡くなったと聞いています。

今回の旅を通して、佐渡の人々の優しさや思いやり。佐渡の自然を目にし、トキの森公園や尖閣湾などの自然や金山などの遺跡など多くの撮影スポットを見逃しているので、また今度、墓参りを兼ねてでも、ゆっくりと伺いたいと思います。

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