東海道五十三次2(三島宿~鞠子宿)

前回の歌川広重の浮世絵に関する東海道五十三次に於いて、10番目の宿場町・箱根宿まで記載させて頂きました。今回はその続きを書かせて頂きます。

<基準>
1里=36丁=2160間
1里=3627.27m

三島宿(伊豆国・君沢郡)

日本橋より11番目の宿場
現在地:静岡県三島市
前宿より3里28丁(14.84km)
累積:日本橋より約104.1km

 古くから現在地に「三嶋神社(三嶋明神)」として、大山祇命(おおやまづみのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)とが祀(まつ)られています。養老4年(720)に編纂(へんさん)された「日本書紀」の天武天皇13年に三嶋神の記録があります。

 源頼朝(みなもとのよりとも)が伊豆に流されていたとき、源氏(げんじ)の再興を願って祈願に通い、治承(じしょう)4年(1180)、旗挙げを果たしました。鎌倉幕府の将軍になってからも祭事の復興、社殿の造営を行うなど厚く信仰し、鎌倉時代を通じて幕府崇敬(すうけい)の神社となりました。後代の将軍や武家たちも所領、刀などを寄進しました。

 幕末には、タウンゼント・ハリスが下田の領事館から江戸に行く途中ここを訪れて、3両2分を奉納したという記録が残っています。

 明治4年(1871)に官幣大社(かんぺいたいしゃ)(注)となりました。全国に三嶋神社という名前の神社は多いのですが、官幣大社はここだけです。今は「三嶋大社」と称しています。
境内の面積は1万5千坪(約500a)で、社殿(しゃでん)・建造物は、うっそうとした森に囲まれています。また、季節により梅、椿、桜などが咲きます。

三島市公式Webサイトより

奥に見える鳥居は三島神社(後の三嶋大社)です。この絵では早朝に出発する旅人の様子が描かれています。《現在のPhoto》は現在の三嶋大社の鳥居です。新年の初詣での人出は約46万人もの人々が参拝され静岡県で一番といわれています。

三島 朝霧
《現在のPhoto》三嶋大社の鳥居

沼津宿(駿河国・駿東郡)

沼津宿(駿河国・駿東郡)
現在地:静岡県沼津市大手町
前宿より1里半(5.9km)
累積:日本橋より約110km

東海道五十三次の中では月が描かれている唯一の作品です。夕方の様子で満月が描かれています。《現在のPhoto》では、夕方の写真ではありませんが、現在の街道(国道1号線)沿い、『沼川沿いの白隠桜』です。5kmに渡り、600本の桜が咲き誇ります。

沼津 黄昏図
《現在のPhoto》沼川沿いの白隠桜

原宿(駿河国・駿東郡)

日本橋より13番目の宿場
現在地:静岡県沼津市
前宿より1里半(5.9km)
累積:日本橋より約116.9km

朝日の赤色で染まった雪の富士です。富士山の美しさが強調される一枚です。《現在のPhoto》は、赤富士ではありませんが、浮島ヶ原自然公園から見た富士山の絶景です。実際の下記の写真を広重の浮世絵と比べると山の傾斜が極端なのがわかります。外国の方が広重の浮世絵をみて、実際の富士山をみに日本へ訪れた際、富士山の傾斜が緩やかなので驚く方もいるようです。

原 朝之富士
《現在のPhoto》浮島ヶ原自然公園から見た富士山

吉原宿(駿河国・富士郡)

日本橋より14番目の宿場
現在地:静岡県富士市
前宿より3里6丁(12.45km)
累積:日本橋より約128.35lm

この浮世絵のタイトルが「左富士」となっていますが、ここまで右に見えていた富士山が、ここでは道が曲がりくねって左側に見みえます。《現在のPhoto》では手前の松は現在も街道沿いに残る松ですが、建物が建ち、富士山は山頂のみ左側にみえています。

吉原 左富士
《現在のPhoto》東海道沿いの吉原の左富士

蒲原宿(駿河国・庵原郡)

日本橋より15番目の宿場
現在地:静岡県静岡市清水区
前宿より2里30丁(11.13km)
累積:日本橋より約139.48km

蒲原宿の雪景色です。しんと静まり返った夜の様子が描かれています。《現在のPhoto》では雪は降っていませんが、今の蒲原宿の面影です。現在でもレトロな街並みを残し、静岡県内で唯一、歴史街道として認定されています。

蒲原 夜之雪
《現在のPhoto》蒲原宿

由比宿(駿河国・庵原郡)

日本橋より16番目の宿場
現在地:静岡県静岡市清水区
前宿より1里(3.93km)
累積:日本橋より約143.41km

こちらも東海道の難所のひとつで海と山が迫ってきます。難所ではありますが、富士山の見える美しい風景として有名な宿場です。《現在のPhoto》は由比宿と興津宿の間を通る薩埵峠(さったとうげ)です。富士山と駿河湾が一望できます。現在この道はハイキングコースにもなっています。

由井 薩埵嶺
《現在のPhoto》薩埵峠、富士山遠望

興津宿(駿河国・庵原郡)

日本橋より17番目の宿場
現在地:静岡県静岡市清水区)
前宿より2里12丁(9.16km)
累積:日本橋より約152.87km

由比宿とはうって変わって平坦な道が続きます。川を渡る力士の旅の一行が描かれています。力士の身体が馬や籠からはみ出していたりと、愉快な一枚です。《現在のPhoto》は、現在の興津川(静岡県静岡市)です。2級河川ですが、清流として釣り人に人気があります。特に鮎釣りが人気です。

興津 興津川
《現在のPhoto》アユ釣りの名所興津川

江尻宿(駿河国・庵原郡)

日本橋より18番目の宿場
現在地:静岡県静岡市清水区
前宿より1里3丁(4.25km)
累積:日本橋より約156.82km

江尻の港の様子になります。絵のほとんどは海が描かれ、旅人の姿は見えません。画面中央には三保の松原が描かれています。《現在のPhoto》は、日本平から撮影した清水港です。絵のような三保の松原が入いりません。「江尻 三保遠望」では、富士山もかなりの遠景に描かれています。広重の浮世絵は様々なイメージを盛り込んでいるようです。

江尻 三保遠望
《現在のPhoto》日本平から富士山と駿河湾(清水港)

府中宿(駿河国・有度郡)

日本橋より19番目の宿場
現在地:静岡県静岡市葵区
前宿より2里29丁(11.02km)
累積:日本橋より約167.84km

府中宿は徳川家康が晩年を過ごした駿府城があり、城下町として繁栄していました。広重の浮世絵は安倍川の渡しです。当時の川渡しの様子が描かれています。《現在のPhoto》は、安部川です。静岡市葵区および駿河区を流れる1級河川です。本流にも支流にもダムが無い、日本では珍しい河川です。昔、安部川のたもとの茶屋で売られていた餅(安倍川餅)が今でも名物です。

府中 安部川
《現在のPhoto》安倍川

鞠子(丸子)宿(駿河国・有度郡)

日本橋より20番目の宿場
現在地:静岡県駿河区
前宿より1里半(5.9km)
累積:日本橋より約173.74km

東海道で最も小さい宿場です。ここに描かれている「丁子屋」は現在も街道沿いに残っています。またこの鞠子宿の絵は、モネの「積みわら」の絵に影響を与えたと言われています。《現在のPhoto》は、現在も街道沿いに残る「丁子屋(ちょうじや)」さんです。慶長元年創業、400年の歴史に名を残します。名物はとろろ汁です。

丸子 名物茶店
《現在のPhoto》東海道丸子宿(とろろ屋丁子屋)

東海道の歴史とともに、旅人の無事を無事を祈りながら。
 慶長元年(1596年)。時は猛々しい戦国時代。
駿府の町が目の前で焼き払われ、豊臣秀吉は小田原城征伐のため兵を挙げ宇津谷峠を通過。そのような中、初代・平吉はのれんを掲げ、ここに丁子屋が創業しました。
 今でこそ「とろろ汁の丁子屋」として親しまれていますが、当時はお茶屋として開業したようです。
その後、富士山の大噴火、大政奉還、世界大戦など時代の転換期にも直面。
初代がどのような“想いや希望”を抱いて創業したのかを知る由もありませんが、丁子屋は現在まで場所を変えること無く、ここ東海道の丸子宿で400余年を過ごしてまいりました。
 丸子宿と言えば、とろろ汁。
 とろろ汁と言えば、丁子屋。
 松尾芭蕉翁、十返舎一九、歌川広重、様々な紀行物語や俳句、随筆、浮世絵でも残されているように、当時の身分や立場に関係なく、行き交う旅人の道中の無事を祈り、一時のおもてなしを続けております。

丁子屋Webサイトより

今回は11番の宿場宿・三島宿から20番目の宿場町・鞠子宿まで書かせて頂きました。次回は21番の宿場町・岡部宿から30番目の宿場町・舞坂宿まで記載させて頂きます。今後とも宜しくお願いいたします。

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